レゾナンスレイキ– 超シンプルで奥深い“流すヒーリング” –

靈氣(レイキ)とは

靈氣の「靈」は自然の摂理を尊み活かしながら暮らす生き方、その在り方そのものです。
「靈」という漢字は、作物を育て全ての生命を育む水をもたらす雨を受け取る器を巫女が持つ状態を現しています。靈氣の「氣」は 中国では「氣」、インドでは、「プラーナ」、ハワイでは「マナ」、古代ギリシャや中性ヨーロッパでは「プネウマ」等の名称で呼ばれています。「氣」は身体の周辺にいつでもどこにでも存在し溢れています。別の言い方をしますと「エネルギー」そのものです。
「靈」と「氣」という漢字二文字は大地と天からのエネルギーが生命に流れ込み満ち溢れてくる言葉なのです。人の身体はどんな国に生まれどんな言葉を話そうと、障がい有る無し関わらず手や身体から靈氣が溢れ出す仕組みを持っています。「靈氣」が世界中でその土地に合った形を持ち合わせ、医療、治療所、大学、コミュニティで活用されている理由がそこにあります。
実は「靈氣」という言葉は、明治、大正、昭和初期の療法家(治療家)、さらに江戸時代にも一般的に使われていた言葉であり臼井甕男氏の独創ではありません。
現存する「靈氣療法」文献の最も古いもでは川上又次という療術家のもので1919(大正8)年に「靈氣療法とその効果」という本が発行されています。
臼井甕男氏が創始したと言える技術は、「靈氣」「靈氣療法」ではなく「臼井靈氣療法」なのです。それは、単なる外科的治療が目的ではなく教えの指針に「安心立命」の境地が盛り込まれている独自の哲学体系なのです。

臼井靈氣療法(レイキヒーリング)の始まり

1922年、臼井甕男氏が臼井靈氣療法学会を創設し林忠次郎氏、高田ハワヨ女史を介して世界へと広がっていきました。日本に現存する臼井靈氣療法学会は靈氣療法を広く普及することよりも門戸を閉ざしす形をとっており、一般からの入会はできず、学会員以外への靈氣療法は禁じられているそうです。臼井甕男氏について
その点に関しては臼井甕男氏が創設した趣旨とはかけ離れているように思えますが、そこには深い理由があったのです。
臼井甕男氏の生前には約2,000名近い門下生がいました。その方々とご家族が学会を継いでいるそうです。当時の門下生は海軍の関係者が多く、学会の二代目会長は牛田三郎氏、三代目会長は武富咸一氏は海軍少佐、5代目会長の和波豊一氏は海軍中将、林忠次郎氏は海軍大佐でした。
海軍の関係者が靈氣(レイキ)に注目した理由は、軍艦は遠洋に出なければいけません。船に積み込める物資の量は決まっています。今ほど医薬品が万能ではなくしかも積載できる医薬品の量も僅かだったそうです。
つまり、靈氣(レイキ)を医薬品の代わりとして実際に活用したのです。終戦後(敗戦)、この海軍との関わりが明るみになり、臼井靈氣療法学会の活動が大きく制限されてしまいました。当時、GHQは西洋医学以外の民間療法を全て禁止する方針を打ち出したのです。鍼灸団体や一部の民間療法の方々による法廷闘争の結果、僅かながら活動ができる道を獲得したそうですが、治療、治る、治った、効くなどの言葉は一切使えなくなり、結局のところ靈氣を民間に広める梯子を外されてしまったのでした。海軍との関係が深かった臼井靈氣療法学会は表立った活動を停止し、その時から今日まで門戸を閉ざした形をとっているのです。その後、海軍大佐から受け継がれた靈氣メソッド、他にもありますがカジュアルに広まるには及んでいません。

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