西洋レイキの歴史と発展、そして日本へ里帰り

西洋レイキ

西洋レイキの源・高田ハワヨ女史について

臼井甕男氏が生前に養成した約20名の師範(レイキティーチャー)の一人が林忠次郎氏(1879~1940)です。彼は東京・信濃町で治療院を開設して、普及活動を行っていました。
その治療院に患者として訪れたのが、高田ハワヨ女史(1900~1980)です。ハワイ生まれの日系人であった彼女は、昭和10年(1935)に病気療養のために来日したのでした。
病状が悪化した為、一旦は手術を決意しますが、縁あって林忠次郎氏のもとを訪れる事になり、霊気療法によって奇跡的な回復をします。その後、高田ハワヨ女史は林忠次郎氏の弟子になり靈氣療法を学びました。
昭和12年(1937)に、彼女はハワイに戻り、診療所を始めます。
翌年の昭和13年(1938)、ハワイに訪れた林忠次郎氏からマスター(教師)の伝授を受け靈氣を使え教える教師の身となりました。「霊気療法」が「レイキ、Reiki」になった瞬間であると言えるでしょう。
その後1970年までの約30年間は、ハワイでreiki 1st degree、reiki 2nd degreeのみの伝授をしていました。医師ではない民間人が他人を治療をすることに対して当時の州の法律などが彼女を厳しく監視したとも言われています。
彼女は、その地域や土地柄に馴染むように徐々に靈氣療法のスタイルを変えていきました。
晩年の1970年以降から亡くなる1980年までの10年弱の間に、3rd degreeの伝授を実施し22人のマスター(教師)を育成しました。
高田ハワヨ女史の死後レイキは、大きく2つの方向に分かれていきます。
その一つは、彼女の孫フィリス・フルモト女史(ハワヨ女史の孫)が1981年に他のレイキマスター達と共に設立したレイキ・アライアンス協会です。
もう一つの団体は、バーバラ・レイ女史(文化人類学者)が設立した現在のラディアンス・テクニーク協会です。
※山田和魅はこちらのバーバラ・レイの系統の西洋レイキティーチャー資格を持っています。
高田ハワヨがハワイで育成したレイキマスター(教師)22名の中には、瞑想の手法やオーラ・チャクラなどの要素を付け加えて教えるマスターも出て、原型(安心立命、霊示法など)よりも、癒し、治療目的のレイキが発展していきます。
発展の段階で、西洋レイキは誰にでも実践できかつ簡単にレイキテマスター(教師)になれる利点の影響で、系統、系図が不明のレイキ実践者(レイキヒーラー)が大半を占めるようになります。
それが功を奏し現在は、世界でレイキを実践者が500万〜600万人ほど存在します。
更に、イギリス・カナダ・ドイツ・アメリカ西海岸・オランダ・オーストラリアでは、代替補完医療(西洋医学以外の医療、エネルギー療法)の一つとして「レイキ」に医療保険が適用されており、実際に医療の現場で使われています。
インド・オーストラリアでは、医師免許と同様に、レイキティーチャー(マスター)が国家資格として認められています。
ニューユーク大学、ハワイ大学では学部単位としています。

西洋レイキの特徴の誰でもできるメソッド体系が大きく貢献していると言えます。

高田ハワヨ女史が残した功績

1935年の高田ハワヨ女史は、林忠次郎史から現在の西洋レイキとは違う内容を習っています。

  • レイキを集中させるためには、言葉、想念(念)、思考を浄化することが必要。そして、氣(エネルギー)が内面から湧き起るためには、瞑想が必要。
  • 氣(エネルギー)の源は、臍から約5センチ下にある。
    (略)
  • 楽な姿勢で座り、目を閉じ心を研ぎ澄まして身体の力を抜く。合掌して感じがやってくるのを待つ。
  • 施術の受け手は、心を浄化し、ゆったりとくつろいだ気持になり、治りたいという欲望を持たなければならない。
  • 背術者は感謝する心を持つ。感謝には偉大な癒しがある。
  • ただ患者に手を触れるだけで、どんな疾患であろうと診断できる。

マスター(教師)は「呼吸法」と「霊示法」ができることが一つの基準であったこと。

レイキを流す前には、楽な姿勢で坐り、目を閉じ心を研ぎ澄まして身体の力を抜く。合掌して感じがやってくるのを待つこと。

現在では、ヒーラーが丹田に湧き上がってくる光を感じ、その光が全身に広がり、ヒーラーと受け手のタイミングが合う瞬間を待つという言い方がわかりやすいかもしれません。

高田ハワヨ女史は、当時のハワイという地域柄や、時代の事情に合わせて靈氣療法をその土地や人々に受け入れられやすいレイキ・reikiへと進化させ、12ポジション、チャクラヒーリング、健康志向、自由、現状の苦しさを少し拭い取る癒しという概念が主軸にしていきました。

山田和魅のレイキ考察

私の考察ですが、西洋レイキの強みの集中は一切必要ないどこにいても誰にでも流せるというキャッチコピーは当時のレイキの普及、レイキマーケティングにとても有効な戦略だったのかもしれません。ただ、代償として靈氣療法本来の威力は削ぎ落とされたのだと思います。


日本の靈氣療法は、普及やマーケティング戦略よりも提供の安全性、効果の追求、靈氣療法技術向上のための「観念解放、感情に責任を持つ、体感覚の再認識」、この3つの統合を主軸にしていると思っています。それゆえに広めることが難しい形でもあります。

私は西洋レイキ系統、日本に伝わる靈氣療法系統の両方を完全に体得することが、自分の人生の主治医になる方法だと思っています。

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