癒しの専門家
こんにちは。初めまして。山田和魅です。
私は癒しの専門家として遠隔ヒーリング3,600回以上、感情を扱うセッション1,000回ほど行っています。
(2022年10月現在)
私の活動名のヒーリングセオリーという名は、2017年秋に知合いからセオリツヒメのセオリーで早く名刺を作る方が良いと言われたことが由来しています。同じ時期に人生の転機が立続けに起こりヒーリングという世界に突然飛び込むことになりました。
現在は、ワークショップ、クラス(講座)、ヒーリングライブ、レイキ伝授等を提供しています。
ヒーリングへの想い
2017年にヒーリングにご縁を頂き、毎日ヒーリングセッションを実施する過程でスピリチュアル知識の未熟さを痛感し勉強を始めました。
『本当は誰でもセルフヒーリングができるのに出来ないと思い込んでいる原因』は何だろう?という問いかけから辿り着いた答えを元に現在のクラス(講座)を通じてご縁のできた方々に自分が持つ能力の素晴らしさを感じて頂いております。
詳しいプロフィール
私の自己紹介とプライベートを載せています。
よろしければご覧くださいね。
スピエンパワーメント運営者
ハイブリットヒーリング(オリジナル)で心身に痛みを抱えている人に自由を与えるセッションを行なっています。
誰でも人生の主治医になりの納得いくセルフケアと人生が好転する技術が身に付くクラスを同時運営中。
幼少期から
私は、幼少の頃から心の中の誰かと毎日対話していました。
寝る前には1日の出来事を心の中で語るように報告したり、困りごとも相談をしていました。
疑問はしっかり尋ねてから眠る、そんな毎日。
相談した内容は翌明方にはハッキリと答えを受け取りました。
受け取った瞬間にハッと目が覚めるのが習慣でした。
疑問に関しては直ぐには答えがきませんでしたが、強く守られている安心感がありましたので時が来るまで待つそんな信頼関係がありました。
成長とともに守られている安心感とは反対に、窮屈さを感ることが増してきましたが、
いつか時が来るだろうと不思議な期待感を持っていました。
私はそんな子供でしたのでどんなことでもまず、自分の内側に聞くことを最優先にしていましたし、それが私にとって一番の正解だと知っていました。
でも、
小学校高学年頃から、外に常識という正解もある、規範があることを徐々に知り始め、
頑張って周りに合わせる暗黒の時代に入りました。
思春期ころ
中学生の頃は、随分体力もつき学校生活・勉強も好きで(嫌いな教科もありましたが)目立たない女子でした。
なぜか異性よりも同性から告白されることもあり、戸惑って逃げるような体験もありました。
思春期は女子仲間や、友達との関わりが楽しい反面、感覚もさらに研ぎ澄まされ、自分と外にある世界の間にある溝を感じるようになりました。
その頃の私の感覚です。
- クラスメイトの後ろ姿にフォーカスすると家系図が見え、誰と誰が遠縁で今の交流が無いことが視える
- クラスメイトのテストの点数が浮かび上がる
- 勉強がわからない時に心の中で質問したら答えが向こうからくる
- 誰と誰が付き合っているか視えてしまい、二股かけている男子も視えた(これが一番キツかった)
- 体の内側の感覚も鋭くなり特に筋肉とのコミュニケーションが当然のようになっていった
高校生になると、当時流行っていた弓道に憧れ、勢いで弓道部に飛び込み夢中で練習。
筋肉が少ないので初段止まり。
私はあまり上手ではなかったけれど仁木教士(7段)から弓道の求める本質を懇切丁寧に教わりました。
仁木教士(7段)からいつも道場の隅に呼び出されて言われたことは
満を持す、ためること。
勢いで矢を放っても的中はするが、すぐに型が崩れ、ダメになる。
30年以上経ってもこの言葉は私の大切な教訓の一つです。
大人になる
20歳頃、活け花に興味を持ち池坊華道教室へ週一回通い始めました。
活け花よりも、先生の人柄と粋な姿に興味があり、
ついつい通う、という甘えた生徒でした。
師範まで導いて頂き「和水」という雅号もいただいた後、結婚のため辞めることになりました。
華の活け方よりも、心に残っている言葉があります。
「教師は生徒であれ」「教師が教師だと生徒は育たない」
この言葉は、思い出すたびに心が振える私の大切な教訓の一つとなっています。
子育て中の経験
23歳で高校同級生の夫と結婚し28歳で長女が生まれました。
とても感受性豊かな白桃のような女の子。
娘が生まれて数時間後に私のベッドの横に、真っ赤な炎とその中に不動明王が立ち、覚悟はあるか?と言われたことにショックを受けました。
産んだ以上は覚悟はあるそんな不思議な言葉が私の口から出たことが記憶にあります。
育児の相談はまず、心の中の誰かに相談し、いつも子供を見守る存在に問いかけ、
帰ってくるアドバイスを元に子育てに役立つ本を見つけ参考にしていました。
3年8ヶ月後に息子が生まれた直後、初めてきましたという言葉が聞こえ、ちょっと嫌な予感がしたこともハッキリと覚えています。
腕に抱いた時、可愛い息子からここで就職という経験をしてみたいという
斬新な内容のメッセージもあり、なんとも言えない息子の強さを感じ、受け止めました。
私は、子供に対して先入観を与えてはいけない約束がありましたので2人が生まれた直後の出来事は息子が20歳になるまで伝えていません。
この公式サイトを作成した今、息子が20歳になりますので公表します。
息子は、ここで就職という経験をしてみたいその言葉通り、地図で見つけた県立高等支援学校(1.7倍)に県外受験し合格3年後サクッと就職しました。
育児方法を人に説明するのが難しくて本当に困りながらの約20年間でしたが、
今では自分の内なる声、子供をサポートする存在たちのメッセージに心の耳を傾けてきて良かったと思えるようになりました。
娘は、大学院生を楽しみながら好きで興味ある分野を研究しています。
子育てで学んだこと
話がさかのぼります。
36歳のある日の朝急にお寺が苦手になりました。
お寺の近くを通ることも苦しいほどでした。四国はお寺が多く、私は更に行動範囲が狭くなってしまいました。
その反面、太陽の光や神社が気になり、境内に行かなくてもその場の空気感が感じられるようになり、見渡しているような不思議なビジョンが現れるようになりました。
実際には子育てが忙しく
ほとんど神社の参拝に行くことはできませんでしたので、時間ある時に遠隔参拝を楽しんでいました。
そんな頃、当時お世話になった町内会長の子亀さん(元高校社会科・美術の教員)から、趣味の鳥瞰図の原画を見せて頂くことが増えていき、鳥の目線を学ぶ素晴らしい機会を持つことができました。
私がお寺を苦手になったのは、小亀さんの四国88カ所鳥瞰図の原画をしっかり見てビジョンを鍛えるためだった、
と随分後に気付きました。
でも、
時がくるまで静かに音を立てず時間をしのぐような感覚、何かを待ち続けるだけような無価値観が常に有り、1年毎にその感覚が強まる一方。
満を持す、ためる、ただその言葉を信頼するしかありませんでした。
人生の前半で経験し消化するべき課題は子育てとハッキリしていたので、とにかく目の前のテーマに向き合うことが最優先。
性別も凸凹タイプも違う子供を育てる中で、
- 人の感覚は訓練や指導で繋がるのではなくその人が一番安心できる場で楽しめる時に統合されること
- 6歳までに感覚統合は完成するけれど、大人になってからも環境さえ整えば少しずつだけど確実に感覚統合は起きる
時がくるまで静かに音を立てず時間をしのぐような感覚で過ごす約20年の間に
私は本当に大切なことを学習し、経験的にも落とし込むことができました。
人間が言葉を覚え、それを口で言えるようになり、相手に伝える、その相手と会話にしてゆくというプロセスや発達の仕方が
みんな違うとものだし、
人間は生きている間は一生発達段階にあり、その途中はとても鮮やかで深みのある芸術の世界なのだと知ることもできました。
その芸術の世界を見るために、私は一時お寺が苦手になり、小亀さんがボールペンだけで描く壮大な四国88カ所鳥瞰図にハマることを選んだのでした。
小亀博氏ホームページサイト
https://henroezu.wixsite.com/hennroezu
山口県雲林寺(ねこ寺)ボールペン原画・巻物
https://fb.watch/e0–b0Q5o9
目覚めへ
40歳前半から
50歳頃から奉仕活動かボランティア活動を始める
というメッセージを強くハッキリと受け取るようになってきました。
それまでは、メッセージは音のない声、文字が上から下に降りてくる、そんな感じでしたが、その頃から声に音がつきました。
2016年、46歳頃からは更にメッセージが強くなり
逆らうよりも受け入れていこう!と私の気持ちは変化していきました。
山を愛する友人に誘われ、石鎚山へ通い始めたのもちょうどこの頃です。
私は全然山へ行く装備も無く全て友人が貸してくれ、コースタイム、必要なものも都度教えてくれました。
目覚めへ
2017年、47歳の9月、仕事の帰りに
急に三嶋神社(愛媛)に行くように急かされたような気がして、車を走らせて神社へ向かいました。
1人で奥の院前に立っていた時、
太陽が境内の木々を越えて目の前に来て止まり
クルクルと回りながら輝き続ました。
あまりに不思議で棒立ちで太陽を見つめていました。
後に、
それは太陽フレアという現象が起きる日だったと知りました。
その日から3週間ほど、
夜眠ろうとしたら
瞼の裏に
真っ白に強く輝く太陽が右回りに収縮しながら回転し続け
眩しくて眠れず、目を開けて眠るような日々を過ごしました。
10月始め、昼間に立っていられなくなり
リビングで倒れるように横になった途端
夢とも現実とも区別がつかない世界に入り、
私は、真っ白な霧の中に誰かと立っていました。
私の右側に立つ安心できる誰かと一緒に
雲の中の中央に続く灰色の階段を登り
頂上にたどりつくと
楕円形のテーブルを囲む白い人達6〜7人が話し合いをしていました。
ふと、左側から来た人から
あなたの番が来ましたよ。
と言われ
四角く長い棒を差し出され、
わかりましたと返事をした後、
左手でその棒を握りました。
急に場面が変わり、次のステージのような感覚の場に行き、
小さな灰色の建物の前に立っていました。
あなたは、どこまで望みますか?
そう聞かれ、なぜだか
私は、私にできることを信じて全力でやっていきたいと思います
と、なぜだか答えていました。
その直後、体が浮き上がったような感覚になり、足が上へ上がり頭がしたに向き、アクロバット状態になりました。
(他人が見たらそうなってないかもしれません)
怖い!でも時期ですよ大丈夫!
そんな独り言が口から出ていました。
下腹部の中をグルグルと2匹の蛇かミミズが右回りに泳ぐ。
気持ち悪い!けど時期ですよ大丈夫!
下半身から青・オレンジの火柱が首を通り頭の少し左から抜けていく。
2回目は力強く、つまりをとっていくような感覚。まるでパイプスルーを配管に流しヘドロを除去するようなビジョン。
3回目は足元から頭へスムーズに何かが突き抜けていきました。
その後1時間ほど体の中が熱くてぐったりし、手足は冷え、放心状態でした。
恐る恐る目を開けるといつものリビングでホッとしました。
後に私の体験をインターネットで調べたら、クンダリニ上昇、覚醒へと書いてあり、なんとなく理解できました。
2週間おきにそのイベントは続き、慣れてきたので余裕が生まれ、
体を対応させて効率よく火柱を上下させることができるようになりました。
すっかり、自分の体の中に道の様な線ができてきている感じがありましたが、
それが、先々何を意味意図するかは分からないまま
次々と、天命に繋がるご縁がありました。
私はおかしい、私の体もおかしい、でもおかしくても天命に戻るだけ。
10月15日、
石鎚山ゆかりの神社本殿ではっきりと感受し私は天命を取り戻しました。
数日後、西条市に移り住んでいたマカバーバというお方が15日に石鎚に役小角が降りた!、と言って興奮して話していたそうです。
どうして、マカバーバさんが私の柱に役小角が降りたことを知っているのか、
当本人の私は知りません・・・。
同じ頃、
私をこの世界に戻してくれた大恩師から手厚くヒーリングの方法を教えて頂き、ご厚意で少しばかり手伝わせていただく内、
精度の高いヒーリングチャネリングができるようになっていきました。
エネルギーで自分自身、他者を癒すという世界が
ほんとうにあるんだ、
もしかして、
こちらが真実の世界なのかもしれない、そう思うようになっていきました。
2018年5月6日、兵庫県から岡山に向けて
高速道路を走行中、
7月7日から始めるとメッセージを受け取りました。
約1ヶ月ほぼ徹夜でホームページ(旧)を作り、7月6日夕方から警報とサイレンが鳴り響く中ホームページの公開テストを繰り返し
7日夜明けになんとか公開できました。
誰が見ているわけでもない地方に住む私の小さなホームページサイト。
だけど、私は私との約束を果たしたような爽快感がありました。
外は警報とサイレンが鳴り響く岡山大災害、大洪水という未曾有の事態でした。
こんな日時にデビューするなんて私はおかしい人間だろうな、と思いましたが一生忘れることのできない大災害の日。
2018年7月7日は
私が一生続ける仕事に一歩踏み出した大切な日でもありました。
現在
遠隔ヒーリング、対面ヒーリングができてしまう。
予約が入ったその直後からまだ対話もしていないのに、クライアントに変容が起きてしまう。
クライアントによっては、
- セッションが始まった途端に身体がタコ踊りのようにクネクネと動き出す
- こちらが質問する前に、どんどん喋り出し、本人も笑いながら「なんでこんなに忘れていたことが口から出ちゃうん?」と言い出す
- 瞬きが高速で始まったり、曲がっていた背骨が急にぎゅ〜っと伸びる
- 欠伸とゲップが止まらなくなる
- お腹が緩み、トイレに駆け込む
私は見ていてどうサポートして良いかわからず、痛くないですか?と質問したら「もう、楽しくて仕方がない」と返事がくる。
一体、ヒーリングってなんなんだ?
クライアントの症状はみるみる改善し、笑顔になって帰っていく。腰痛もすっかり治っていく。
だけど、私にはヒーリング知識が全くない。
知識とスキルを身につけるため
導かれる様に、2018年6月から恩師アニーボッシンハムから1年間習い、無事第5モジュールまで終了し、未知の領域と繋がりながらクライアント様の様子に合わせ、一方的に与えるヒーリングでは無く、私はただそこに在る、そこに存在し場を保つという開かれた意図をベースにした共同創造ヒーリングが落ち着いてできるようになりました。
その後、私の個性の真逆の方法の与える、流すヒーリングも繰り返し受講しました。
これも楽しいものでもあります。
両方のヒーリングの個性を知り、私の人生のテーマ『子育て』から学んだ「感覚と感情」をベースにした魂に感情を取り戻す®︎セッションを提供しています。
- Messenger of Light
- 高次元レゾナンスヒーリング
- (第5モジュール迄)
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